饅頭やサンドイッチの誕生秘話?食べ物から歴史をたどってみる

事件だけではなく、世の中に出回っている「物」にも歴史があります。誰かが何かのきっかけで考えつき、それが消えることなく今に伝わっている。そう考えると、身の回りにある物ひとつひとつが歴史を持っていることに気づくはずです。そして、そこから歴史への興味を持つのも面白いでしょう。

【饅頭は食べるために開発されたものではなかった!?】

秋の寒くなる頃から春の陽気でポカポカしてくるまでの間、コンビニやスーパーでよく売れる商品てなんだと思いますか?春を過ぎると一斉に姿を消す季節限定商品とも言える「中華まん」。中にはひき肉だけでなくあんこやカレー、ピザの味付けがされているものもありますよね。では、この饅頭はどのようにして生まれたのかを知っていますか?

中国は三国志の時代。ゲームでもよく登場する諸葛亮(孔明)が南の異民族征伐を終えて都へ帰還する途中でのこと。強い雨と風で大きな川が氾濫を起こし、橋は壊れて先へ進めなくなりました。このとき服従してきた異民族の首領から、「この川は49人の首を斬って川の神に捧げると氾濫が治まる」と聞き、「川が氾濫するたびに49人もの人を殺すなどあってはならない」として、料理人に「小麦をこねて皮を作り、羊や豚の肉をつめた人の頭くらいの大きさで包め」と命令を出します。これこそが「饅頭」の始まりという昔話があるんです。饅頭ははじめ、食べるためではなく川の神への捧げ物だったということですね。

【サンドイッチはギャンブル好きの貴族のために作られた特別料理!?】

諸説ありますが、サンドイッチの誕生は「サンドイッチ伯爵」という西洋の貴族が食事をする間も惜しいくらいのトランプ好きで、ゲームをしながらでも食べられる料理を考えたところ、肉や野菜をパンではさんで片手で食べられるように工夫したものだといわれています。1人のギャンブル好きな貴族のおかげで、パン料理の定番となっているサンドイッチが生まれたというのは、ゲーム好きな子供たちには興味深い話ではないでしょうか。

【徳川家康の死因は天ぷらの食あたり!?】

これも真相は定かではありませんが、徳川家康は魚の天ぷらで食あたりを起こして、それが原因で亡くなったという説があります。1616年、全国のライバルは全て片付いたのがその前年の1615年。大坂夏の陣で豊臣秀吉の子、秀頼とそれに味方をした諸勢力を倒したばかりでした。将軍の位はすでに子の秀忠に譲っていましたから、徳川家の安泰を成し遂げてホッとしたことが原因かもしれないですね。年齢も70歳を大きく過ぎていましたから、大往生だったといえるでしょう。

【身の回りのちょっとした物への興味が、歴史を紐解く鍵になることもある】

フィクションでもノンフィクションでも、身の回りにある物がどうやって誕生したのかを調べてみると、その時代背景が深く関わっていることもあり、歴史に対する知識を蓄えるチャンスでもあります。先の饅頭の話では、「中国に三国時代という時代があって、諸葛孔明という人が饅頭を発明した」ことを覚えますし、その先に「諸葛孔明とは、どんな人だったんだろう?」と興味を持つきっかけにもなるでしょう。先へ進むことができるかは、お子さん本人の関心の深さと、周りの反応が大きく左右します。その関心を失わせないためにも、お子さんにはできないネットでの調べ物などは積極的に手を貸してあげるといいのではないでしょうか。